島根県松江市の中心に、黒い天守が建っています。松江城です。全国に12しか残らない現存天守のひとつで、2015年に国宝へ指定されました。
白い城とは、ずいぶん印象が違います。装飾を抑えた黒い下見板張り。最上階に登ると、松江の市街と宍道湖がひと目に見渡せます。堀尾吉晴が築き、松平家が受け継ぎ、明治の廃城令をくぐり抜けて残った天守——このひと棟に、松江というまちの来歴がそのまま重なっています。
この記事では、歴史から構造、見どころ、アクセスまでを順にたどります。
松江城の歴史:堀尾氏から松平家へ
築城——堀尾吉晴が築いた松江のまちの礎(1607年〜1611年)

物語は、関ヶ原のあとから始まります。堀尾忠氏は戦功により出雲・隠岐24万石を与えられ、慶長5年(1600年)に月山富田城へ入りました。ただ、この城は山の上にあります。城下町を広げるには手狭で、新しい城地が探されることになります。
実際に城づくりを取り仕切ったのは、忠氏の父・堀尾吉晴でした。幼い孫の忠晴を後見しながら、慶長12年(1607年)に工事を始め、慶長16年(1611年)の正月までに天守を完成させたと伝わります。このとき整えられた城と城下町が、今の松江市の骨格になっています。
京極期——短い統治と治水の足跡
堀尾家は忠晴の代で跡継ぎがなく、寛永11年(1634年)に改易。代わって若狭小浜から京極忠高が入りました。統治はわずか3年ほどでしたが、斐伊川の治水などに足跡を残したと伝わります。その京極も跡継ぎに恵まれず、松江はまた次の領主を迎えることになります。
松平期——松江藩を長く治めた松平家
ようやく腰を落ち着けたのが松平家でした。寛永15年(1638年)、信濃松本から松平直政が入ります。家康の孫にあたる人物で、以後、松平家が廃藩置県まで松江を治めました。
なかでも名前が残っているのが、7代・松平治郷、号して不昧公です。江戸時代を代表する茶人のひとりで、松江の茶の湯を大きく育てました。松江が今も和菓子とお茶のまちとして知られるのは、この殿様の影響が大きいといわれます。
明治以降——廃城令を越えて守られた天守
松江城の歴史で、いちばんの山場は明治にあります。維新後、全国の城が次々に取り壊されるなか、松江城も廃城令の対象になりました。明治8年(1875年)、天守をはじめ城内の建物が払い下げにかけられます。櫓も門も御殿も壊され、天守にいたっては180円で売られようとしていました。
これを止めたのが、旧松江藩士の高城権八と、地元の豪農・勝部本右衛門父子だったと伝わります。落札額と同じ額を国に納め、取り壊しを寸前で食い止めたのです。もしこのとき誰も動かなければ、今の天守は残っていません。その後、明治27年(1894年)の修理と、昭和25〜30年(1950〜1955年)の「昭和の大修理」を経て、天守は当時の姿のまま立っています。
国宝指定——祈祷札が伝えた完成年
「国宝」という肩書きにも、実は紆余曲折がありました。松江城天守は昭和10年(1935年)、旧・国宝保存法のもとで国宝に指定されました。その後、戦後の文化財保護法施行により重要文化財となります。
決め手になったのが、天守の完成時に納められたとされる「祈祷札」の再発見でした。昭和12年(1937年)に確認された後、長く所在不明となっていましたが、平成24年(2012年)に松江神社で再発見されます。そこに「慶長十六年正月」と記されていたことで、天守の完成時期が明確になり、資料的価値が高く評価され、平成27年(2015年)に改めて国宝に指定されました。今は姫路・彦根・松本・犬山と並ぶ、5つの国宝天守のひとつに数えられています。
松江城の特徴——黒い国宝天守と実戦的な構え
現存12天守のひとつ
松江城の何がすごいかといえば、まず天守が「本物」であることです。江戸時代以前に建てられた天守がそのまま残る城は、全国に12しかありません。松江城はそのうちのひとつで、しかも国宝です。
鉄筋で建て直された再建天守とは、中に入った瞬間の感触が違います。柱も梁も階段も、当時のまま。木の軋みや、戦いを想定した造りが、そこかしこに残っています。
黒い下見板張りと「千鳥城」の姿
見た目でまず目を引くのが、全体を覆う黒い下見板張りです。白く華やかな姫路城とは正反対で、装飾を削ぎ落とした、そっけないほど実直な佇まい。派手さがないぶん、水辺の風景にすっとなじみます。
別名を「千鳥城」といいます。天守の千鳥破風(ちどりはふ)にちなむとされる呼び名です。宍道湖や堀川を背にした黒い天守は、水の都・松江らしい風景の中心にあります。
複合式望楼型の天守
造りを見ると、この城が「戦うための城」だとよくわかります。外観は4重、中は5階建てに地階付き。入口には附櫓(つけやぐら)がくっつく「複合式」で、最上階に望楼をのせた「望楼型」に分類されます。
玄関にあたる附櫓は、そのまま敵を入りにくくする仕掛けです。石落としや鉄砲狭間も抜かりなく備わっています。見せるための城ではなく、守るための城。そこが松江城の性格です。
野面積み・牛蒡積みの石垣
足元の石垣も見逃せません。積み方は、自然石をそのまま生かす「野面積み(のづらづみ)」と、石の表面を加工して隙間を減らす「打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)」。なかでも野面積みは、石の長い面を奥へ差し込むように積む「牛蒡積み(ごぼうづみ)」と呼ばれ、頑丈さで知られます。石積みには、近江・坂本の穴太(あのう)から名手・穴太衆(あのうしゅう)が招かれたと伝わります。
城は5年ほどで完成したとされますが、そのうち3年を石垣に費やしたといわれます。工期の大半が土台づくり、というわけです。400年以上にわたって城を支えてきた石垣を見れば、その念の入れようにも納得がいきます。大手門跡から天守へ上る道では、石の刻印や、ハート形に見える石を探しながら歩くのも、この道ならではの楽しみです。
見どころを歩く——松江城周辺の主要スポット
国宝天守
見学の主役は、やはり国宝天守です。遠目にも黒い姿が映えますが、近づくほど、木の塊としての迫力が増してきます。
中の階段はかなり急です。手すりを頼りに上っていくと、柱や梁、踏み減った床板が、そのまま四百年ぶんの時間を伝えてきます。上りきった最上階は四方が開けた望楼で、松江の市街も宍道湖も、遠くの山並みまで見渡せます。
天守内部の通し柱と、国宝指定につながった祈祷札
足元だけでなく、柱にも目を向けてみてください。2階分をまとめて貫く通し柱など、この巨体を支える工夫が随所にあります。組み方を間近で見ると、ここが観光名所である前に、貴重な木造建築なのだと実感します。
祈祷札そのものは、松江城が国宝へ返り咲く決め手になった重要な資料です。現地で見学する際は、展示状況を事前に確認しておくと安心です。
鯱と花頭窓
屋根の上の鯱(しゃちほこ)は、現存する木造天守のものとしても大きい部類に入ることで知られます。火除けの願いを込めた飾りであり、木造の天守にとっては守り神のような存在です。
そっけない黒い壁のなかで、ふと目を引くのが花頭窓(かとうまど)の曲線です。派手を避けた城ですが、細部にはちゃんと美意識が効いている。こういう小さな見つけものが、松江城歩きの楽しさです。
二之丸と復元櫓
天守を出たら、二之丸まで足をのばしたいところです。太鼓櫓・中櫓・南櫓と瓦塀が復元され、城郭らしい構えを取り戻しています。
かつては藩主の屋敷などが置かれた中心的な曲輪で、今は松江神社や興雲閣も建ちます。天守だけ見て帰るのと、二之丸まで歩くのとでは、城の全体像の見え方がまるで違います。
興雲閣
二之丸に建つ興雲閣(こううんかく)は、明治36年(1903年)に完成した擬洋風建築です。松江市工芸品陳列所として建てられ、当初は明治天皇の行在所として使う目的もありましたが、実際には明治40年(1907年)、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓にあたって御旅館として使われました。
国宝の木造天守と、明治の洋風建築が、同じ公園に並ぶ。時代の違うものが同居しているぶん、松江という城下町の来歴が、ひと続きの流れとして感じられます。
塩見縄手と小泉八雲ゆかりの地
堀をはさんだ城の北側に、「塩見縄手(しおみなわて)」という一角があります。江戸の面影を残す静かな通りで、武家屋敷や小泉八雲の旧居、記念館が並びます。
天守を見たあとにここを歩くと、城を核にして広がった城下町の空気が、ぐっと近くなります。水と石垣と武家屋敷。この三つが重なる景色は、松江の旅でいちばん記憶に残るかもしれません。
堀川めぐり

松江城のまわりには堀がめぐり、まちのあちこちを水路がつないでいます。定番の楽しみが、小舟でその堀をゆく「堀川めぐり」です。
舟から見上げる石垣や町並みは、歩いて見るのとはまるで別の表情をしています。時間があるなら、天守見学とセットでぜひ。松江らしさを感じやすい過ごし方です。
旅の記念に——「文字のお城のしおり」松江城
旅の帰りに、思い出をひとつ持ち帰りませんか。松江城を訪ねた感動を旅のあとも手元に残したい方には、「文字のお城のしおり」松江城もおすすめです。「お城がフォントごと飛び出した!?」——そんなコンセプトのとおり、言葉がフォントごと切り取られたような、巧緻で美しい一枚。本のページに挟むたび、黒い天守や宍道湖の水面、堀川沿いの町並みが、ふと思い出されてきます。読書のしるしに、旅の記念や贈り物にもどうぞ。

お城シリーズは、松江城のほかにも各地の名城を揃えています。城めぐりのお供に、あるいは城好きな方への贈りものに、ぜひシリーズものぞいてみてください。
アクセス・利用案内
所在地・開館情報
松江城は「松江城山公園」として整備されており、本丸への入場は無料です。天守の見学には別途入場料が必要です。
- 所在地:島根県松江市殿町1-5
- 天守入場料:大人1,200円、小・中学生無料
- 天守入場時間:4月1日〜9月30日 8:30〜18:00(受付終了17:30)
- 天守入場時間:10月1日〜3月31日 8:30〜17:00(受付終了16:30)
- 休み:年中無休
- 本丸開門時間:4月1日〜9月30日 8:00〜18:30、10月1日〜3月31日 8:00〜17:30
※天守入場料・開館時間は、令和8年7月1日時点の公式情報をもとにしています。変更される場合がありますので、お出かけ前に公式サイトで最新情報をご確認ください。
交通アクセス
- JR松江駅から:市営バス・一畑バスなどで「大手前」周辺下車
- 一畑電車 松江しんじ湖温泉駅から:徒歩またはバスでアクセス可能
- 出雲縁結び空港から:空港連絡バスでJR松江駅まで約35分
- 米子鬼太郎空港から:空港連絡バスでJR松江駅まで約45分
- 車で:松江城周辺の大手前駐車場、城山西駐車場などを利用
よくある質問(FAQ)
Q. 松江城はいつ、誰が建てたのですか?
A. 慶長12年(1607年)に築城工事が始まり、慶長16年(1611年)正月までに完成したとされています。築城を進めたのは、関ヶ原の戦い後に出雲・隠岐を治めた堀尾氏で、特に堀尾吉晴が松江城と城下町づくりに大きな役割を果たしました。
Q. 松江城の天守は本物(現存)ですか?
A. はい。松江城天守は、江戸時代以前に建てられた天守が現在まで残る「現存天守」です。全国に12城しかない現存天守のひとつで、平成27年(2015年)には国宝に指定されました。
Q. 松江城の特徴・見どころは何ですか?
A. 黒い下見板張りの国宝天守、複合式望楼型の実戦的な構造、野面積み・牛蒡積みの石垣、天守最上階からの宍道湖や松江市街の眺望が主な見どころです。周辺には二之丸の復元櫓、興雲閣、塩見縄手、小泉八雲ゆかりの地もあります。
Q. 松江城は、なぜ「千鳥城」と呼ばれるのですか?
A. 天守にあしらわれた千鳥破風(ちどりはふ)に由来するといわれています。黒い下見板張りの落ち着いた姿が宍道湖や堀川の水辺の風景と調和することから、「水の都・松江」を象徴する城として親しまれています。
まとめ
堀尾吉晴が築き、京極、松平と受け継がれた松江城は、明治の取り壊しを、地元の人の手でかろうじて免れました。今も江戸時代の姿のまま建っているのは、決して当たり前のことではありません。
天守そのものも見応えがありますが、松江城の面白さは、堀や塩見縄手、宍道湖まで含めた「水辺のまち全体」にあります。天守を降りたら、そのまま城下を少し歩いてみてください。松江という城下町の呼吸が、じわりと伝わってくるはずです。
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