新幹線が福山駅に滑り込む、その数秒間。窓の外に天守が現れます。ホームから城が見える駅は、全国でもそう多くありません。
福山城は、JR福山駅北口から歩いて5分ほど。「駅から近い城」という以上に、この城には全国のどこにもない特徴があります。天守の北面が、鉄板で覆われているのです。
天守北面の鉄板張り――全国唯一といわれる姿

福山城の天守は5層6階で、2層3階の小天守を接合した層塔型複合天守です。ただし最大の見どころは、正面ではなく北面にあります。
天守の北側は、城の裏手にあたる搦手側。しかもこの城は、天守が城郭の北寄りに建っています。背面には南正面のような堀や高い石垣がなく、天守が城外へむき出しになっていました。福山市の説明によれば、鉄板張りの目的は風雨への備えとともに、外部から天守が直接攻撃されることへの備えでもありました。大砲弾の直撃に耐えるための壁だった、というわけです。
城郭建築の研究者・藤岡通夫は戦前の調査で、塗込壁の上に鉄板を張った例は福山城天守の北面以外に類例がない、と記録しています。鉄板が張られたのは最上階を除く壁面。城門の扉や柱に鉄板を打つ例はあっても、天守の外壁を鉄板で覆った城は、確認できる範囲では福山城だけです。
この鉄板張りは、1945年(昭和20年)8月8日の福山空襲で天守もろとも失われます。よみがえったのは、築城400年に合わせた「令和の大普請」(2020〜2022年)でのこと。古写真や他城の鉄板の調査をもとに、素材感まで再現した外観復元が行われました。福山城博物館の公式解説でも、この鉄板張りは全国唯一といわれる特徴として紹介されています。
南側から眺めるだけでは、この城の本当の顔は見えません。天守を回り込んで、北へ。黒く沈んだ壁面が現れます。
水野勝成が築いた、異例の城
一国一城令の時代に許された築城
1619年(元和5年)、水野勝成が備後10万石の領主として鞆の浦から上陸します。勝成は徳川家康の従兄弟にあたる人物(父・水野忠重が、家康の母・於大の方の弟)。若い頃に父から勘当され、15年近く各地を流浪したのち武功で身を立てた、かなり型破りな経歴の持ち主です。
勝成は領内を巡視し、常興寺山を築城の地に定めました。北を山陽道が通り、南は瀬戸内海に臨む交通の要衝です。築城は1620年(元和6年)に始まり、1622年(元和8年)に完成しました。石垣の石材は、当時水野家領だった瀬戸内の北木島や白石島から運ばれています。
注目したいのは、福山城が一国一城令後に築かれた近世城郭であることです。幕府が西国の外様大名に備え、山陽道と瀬戸内海の交通を押さえる拠点として重視した城と説明されています。
水野家から阿部家へ
水野家は5代続きましたが、元禄11年(1698年)に5代・勝岑が夭折して改易。一時幕府領となったのち、元禄13年(1700年)に松平忠雅、宝永7年(1710年)に阿部正邦が入り、以後は阿部家が幕末まで福山藩を治めました。
阿部家7代・正弘は、黒船来航に対応した老中首座として知られます。正弘は江戸と福山に藩校「誠之館」を設け、国学・洋学・医学・数学・兵学を教えました。開校は江戸が1854年(嘉永7年)、福山が1855年(安政2年)と伝わります。
焼失、そして再建
明治6年(1873年)の廃城令で、福山城は多くの建物を失いかけました。地元の請願により天守・筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・鐘櫓などが残され、天守は昭和6年(1931年)に国宝に指定されます。しかし昭和20年(1945年)8月8日の福山空襲で焼失。現在の天守は昭和41年(1966年)、市内企業や市民からの寄付金によって再建されたものです。
天守以外の見どころ
伏見櫓と筋鉄御門
いずれも国の重要文化財です。伏見櫓は文献や刻字から、京都の伏見城から移された建物であることが裏づけられています。筋鉄御門とともに空襲を免れた現存建築です。再建天守との違いを意識して見ると、福山城が重ねてきた時間がよく分かります。
石垣の算木積み
石垣の隅角に注目してください。長い石と短い石を交互に組み上げる「算木積み」の技法が見られます。慶長期以降に発達したとされる、隅角の強度を高める積み方です。本丸・二の丸を中心に、築城当時の石組みが残っています。
城の東・南・西には二重の堀がめぐり、北側は吉津川や周辺の丘陵が防御を担っていました。現在は三の丸や堀の多くが失われ、市街地へと姿を変えています。
福山城公園と桜
天守を囲む福山城公園は、桜の名所としても知られます。例年3月下旬から4月上旬が見頃。天守と桜を同じ画面に収められる場所は、駅から歩いて5分の距離にはそうありません。
アクセス・所要時間・入館料
行き方
JR福山駅北口(福山城口)から徒歩5分。新幹線の停車駅から歩いて行けるため、福山観光や一人旅の最初の立ち寄り先にも組み込みやすい場所です。車の場合は山陽自動車道・福山東ICから約20分。福山城博物館・美術館・文学館の共用駐車場は普通車127台で、博物館受付に駐車券を提示すると1時間無料になります。
福山城博物館の利用案内
再建天守の内部は、福山市立福山城博物館として公開されています。2022年(令和4年)8月にリニューアルし、一番槍レースや火縄銃体験といった体験型コンテンツ、大型三面シアターなどが加わりました。
本記事作成時点(2026年7月)の公式サイト掲載内容は次のとおりです。
- 開館時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)
- 休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、年末(12月28日〜31日)、展示入替による臨時休館あり
- 入館料:一般500円/団体等の各種割引400円/高校生以下ほかは無料
- 駐車場:共用駐車場127台。博物館受付で駐車券を提示すると1時間無料(以後30分ごとに100円)
特別展の期間は料金が異なります。訪問前に公式サイトで最新情報をご確認ください。
どのくらい時間が要るか
博物館の見学は30〜60分が目安。天守の外周を回って鉄板張りを見て、伏見櫓と筋鉄御門まで足を延ばすなら、あわせて1時間半ほど見ておくと落ち着いて歩けます。新幹線の乗り継ぎの合間に立ち寄る、という使い方もできる立地です。
あわせて訪ねたい、福山のまわり

時間があるなら、鞆の浦へ。福山駅からバスで向かえる港町で、江戸期の港湾施設や町並みが残ります。港に立つ常夜燈は、この町の象徴。水野勝成が備後へ入った1619年(元和5年)に鞆へ入港した記録もあり、城と港を同じ人物の物語でたどれます。
市街地に留まるなら、ふくやま美術館や広島県立歴史博物館が城のすぐ西側、徒歩圏内に集まっています。
旅の記念に、言葉をひとつ持ち帰る
城をめぐった帰り、何を持ち帰るか。写真は残りますが、日常のなかで見返す機会は案外少ないものです。
「文字のお城のしおり」は、城の名前がそのまま言葉として立ち上がるしおり。フォントの輪郭ごと繊細に切り取られていて、光にかざすと文字の隙間から向こう側が透けます。本に挟めば、ページを開くたびにあの日の天守が戻ってくる。旅の記憶を、読書の時間に連れていける一枚です。

ほかにも36種類の城が揃っています。訪ねた城を集めていく楽しみもあります。
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参考・公式サイト
よくある質問(FAQ)
Q. 福山城は福山駅からどのくらいですか?
JR福山駅北口(福山城口)から徒歩5分です。新幹線のホームからも天守を望むことができます。
Q. 福山城の見学にはどのくらい時間がかかりますか?
博物館の見学は30〜60分が目安です。天守の外周や伏見櫓・筋鉄御門もあわせて歩くなら、1時間半ほど見ておくと余裕があります。
Q. 福山城博物館の入館料はいくらですか?
本記事作成時点(2026年7月)の公式サイトによれば、一般500円、団体等の各種割引400円、高校生以下などは無料です。特別展の期間は料金が異なるため、公式サイトでご確認ください。
Q. 天守の北面が鉄板張りなのはなぜですか?
天守が城郭の北寄りに建ち、背面は堀や高い石垣がなく城外にむき出しだったためです。福山市の説明では、風雨への備えとともに、天守が外部から直接攻撃されることへの備えだったとされています。天守の外壁を鉄板で覆った例は他に確認されておらず、全国唯一といわれる特徴です。2022年(令和4年)の外観復元整備でよみがえりました。
Q. 現在の天守は当時のものですか?
いいえ。天守は1945年(昭和20年)の福山空襲で焼失し、現在の建物は1966年(昭和41年)の再建です。一方、伏見櫓と筋鉄御門は焼失を免れた現存建築で、国の重要文化財に指定されています。
まとめ
福山城を訪ねるなら、天守の裏側まで回ってください。城が本当に守ろうとしていたものは、そこにあります。


